結婚式 演出

結婚式場なら常滑のココ

常滑市のA様からの人生相談の無いようは、どこの結婚式場を選んでいいのかわからないということでした。確かに今はどこの結婚式場も競争が激しくてサービスのレベルも年々向上しているといえるでしょう。常滑はセントレアも近く、海もとても近いことから結婚式場が乱立している地帯でも有ります。遠方からの親族も着やすいのが最大の特徴でしょうか。逆に名古屋からはアクセスが悪いのが特徴とえばそうなんですが、それを補って余りある魅力が常滑市には詰まっていると言えます。

結婚式場で赤ちゃんをお披露目!スタッフの心遣いにも助けられました

私たち夫婦は所謂「おめでた婚」でした。そのため、結婚式をどうしようか最初は迷っていました。お腹が目立たないうちにすぐにやってしまうか、子どもが生まれてからにしようかでです。結婚式をしないという選択肢はありませんでしたが、子どもが生まれてからだと大変かなぁと思っていました。そのため、子どもが生まれる前に挙げてしまうかという方に傾いていました。ところが、結婚式場の見学に行った時にその考えは変わりました。当時妊娠3か月だったのですが、スタッフさん達の気づかいに感動しました。

「お式は、いつ頃にいたしますか?」そう聞かれ、「お腹が目立たないうちにしようかなって思っているんです。赤ちゃんが産まれてからだと、式を挙げるのも大変ですよね?」何気なく聞いたことでしたが、スタッフさんはいいえ、と笑顔で言いました。「ご出産されてから、お披露目もかねて式を挙げられる方もいらっしゃいますよ。お色直しの時などは、私共がお手伝いさせていただきますし」。その言葉に、考えは変わりました。「ねぇ、準備に時間かけて、ちゃんとこの子をお披露目しない?」私がそう提案すると、彼も同じことを考えていたのか「そうだね」と即答してくれました。そして、結婚式は予定日の4か月後になりました。

出産までの半年余り、子育ての準備と並行して結婚式の準備も進めました。式の相談をしに式場まで行くたびに、スタッフさんもプランナーさんも私の体調を気にかけてくれました。ある日、いつものように通された部屋には優しい音楽がかかっていました。びっくりしていると、「ここにもこの曲があったんですよ」とプランナーさんが教えてくれました。以前、胎教のために音楽をかけていると話したことを覚えていてくれたのです。そんな気遣いに助けられながら、結婚式の準備は着々と進みました。そして、私は元気な女の子を産みました。

子どもを産んでから、前撮りや衣装合わせなど、また慌ただしい日々が続きました。その時も、私達が着替えている間やメイクをしてもらっている間、スタッフさんが子どもの面倒を見てくれました。おかげで、素敵な家族写真を残すことができました。結婚式当日も、それまでと同じようにスタッフさんの気づかいに助けられました。おかげで、「大変だった」という感想を持つことなく式を挙げることができました。披露宴では、フリータイムを長くとって1つ1つのテーブルでゆっくり子どもをお披露目できました。出席してくれた友人も「赤ちゃんも見ることができたしよかった。おめでとう」と言ってくれました。子どものお披露目なんてあの時は考えてもいませんでしたが、最高の結婚式になったと思います。

大切な曲をBGMに!新郎新婦の入場をより印象深いものにできた

私と夫の共通の趣味は音楽です。そもそも、私達が知り合ったのは大学の音楽サークルでした。そこで、お互いの音楽の趣味が合うことに気付いたのです。好きな歌手も一緒で、その歌手について話したり2人でコンサートに行ったりしているうちに、気になる相手になっていました。あるコンサートの帰り、思い切って告白をしました。すると、彼に「実は、俺も好きになってた。っていうか、俺から言おうとしてた」と言われました。「そうだったんだ。それなら、いっそコンサート始まる前に言ってくれれば良かったのに」そうすれば、もっとコンサートを楽しめたのに、という思いを込めてみました。「だってさ、それでだめだったらマジで気まずいじゃん」「ああ、それもそうだよね」。こんなやりとりをした数年後、私たちは結婚することになったのです。

結婚式場は、あまり豪華ではありませんがアットホームな落ち着いた感じの場所を選びました。ホームページにあった、『お好きな曲をBGMに』という言葉に惹かれたからです。後で知ったのですが、BGMを選べるのは何もここだけではなかったようです。でも、私達が調べた限りしっかり書いてあったのはここだけだったので、確実なところが良いよね、と決めました。特にこだわりもない2人でしたが、唯一こだわった部分が音楽でした。特に彼の方が「せっかくだから、音楽をたくさん使いたい」と言い続けていたのです。

「それでは、披露宴のBGMはどうなさいますか?」入場やムービー、両親への手紙等音楽をかけられる場面は結構ありました。特にこだわりたいのが入場のものでしたが、なまじ音楽好きな2人です。候補曲がたくさんありすぎてなかなか決まりません。すると、そんな私達を見たプランナーさんからこんな質問をされました。「お2人は、コンサートがきっかけでお付き合いを始めたんですよね?どんなコンサートだったんですか?」「確か、Sっていうグループの『○○』っていうコンサートだったよね」「そうそう、それ」この会話の途中で気づきました。「ねぇ、その時の曲の中から選ばない?」私のその言葉に、プランナーさんはにっこりと笑いました。

「お2人を結ぶきっかけを作った音楽と共に、新郎新婦のご入場です」司会者の声と共に、披露宴会場に入場しました。かかっているのは、あの時のコンサートのアンコールで流れていたバラード。2人がお互いに告白をしようと、静かに気合いを入れていた曲です。彼からこの話を聞いた時、どこまでも気の合う2人だと笑い合いました。他の部分にも、隙さえあれば音楽を入れた私達に、大学時代の友人は「2人らしいよ」と祝福してくれました。あれから2年。今でも我が家では音楽が絶えることはありません。でも、昔とは少し音楽の種類が変わっています。今は、「胎教に良いから」と、夫がどこからともなく見つけてくるクラシックの音楽がかかっています。

結婚に反対していた父が作ったウェルカムグッズ

私の父は陶芸家です。昔気質で頑固で無口。決して悪い人ではないのですが、1人娘の私から見ても恐いというか、かかわりにくい人でした。そんな父と離れたくて、高校卒業後は家を出て働き始めました。私が結婚を決めたのは、20歳の時でした。相手は、同じ職場の3歳上のWさんです。父とは違い、社交的で物腰の柔らかい人でした。「ご家族に挨拶しないと」と彼が言うので、久しぶりに実家に帰ることになりましたが、内心では父が反対しそうな気がして憂鬱でした。

案の定、父は大反対しました。理由は、私がまだ若いからということでした。母は、「子の子だってちゃんと働いているし、Wさんも真面目で良い人そうだし、許してあげたら?」と何度も言ってくれましたが、聞く耳を持たないといった風でした。結局、父の許しを得られないまま、結婚式の準備だけが進んでいきました。母の見立て通り、真面目なWさんは「お父さんに許してもらっていないのに」と心配していましたが、「お父さんのことは何とかするから、進めちゃいなさい」という母の言葉に後押しをされ、気づいた時には1年が過ぎていました。もう結婚式まで1か月を切っていましたが、それでも父は反対を貫いていました。

そして結婚式当日。反対はしていながらも、そこは昔気質の父。新婦の父が欠席ということは避けたかったと、式場には来てくれました。しかし、相変わらずその顔はけわしいままでした。バージンロードを一緒に歩く時も、父は涙1つ見せませんでした。それなのに、なぜか友人からは「最高のお父さんじゃない!」と声をかけられました。不思議に思いながらも披露宴会場に入った時、違和感を覚えました。洋風の会場の中に、ミスマッチなものがあるのです。それは、陶器のグラスでした。「変だなぁ、式場のミスかな?」。疑問に思いながらも、席につきました。そして、司会の方の一言に衝撃を受けたのです。

「本日受付で皆様に送られました、ウェルカムグッズは、新婦のお父様がお作りになられたものです。新婦のお父様は陶芸家で…」。会場には行った時に感じた違和感の正体、目の前にもある陶器のグラスのことを言っているのだと、すぐにわかりました。(ウェルカムグッズ?何それ。そんなこと聞いてないよ)と頭の中が混乱しました。しかも、父が作った…?何が何だかわからないまま、乾杯をしました。これは、新郎も驚いているだろうと、隣にいるWさんを見ると、彼は私を見て笑っていました。それは、嬉しそうでもあり、「してやったり」とも思っている顔でした。きっと、彼は知っていたのです。父の、このサプライズを。

後から知った話ですが、Wさんは私に内緒で父に会っていたそうです。「やっぱり、お父さんに反対されたままではダメだ」と。Wさんのその真摯な態度と、母の説得により、父は結婚を許してくれたそうです。でも、照れくさくて言えなかったんだとか。その話を、プランナーの方にWさんが話した時に提案されたのがウェルカムグッズ作り。私には内緒にして、結婚式のサプライズにしようということになったということでした。披露宴の間、父は仏頂面を崩そうとしませんでした。でも、それが照れているのだということが、その時の私にはわかりました。披露宴の最後に、父の言った「綺麗だ。幸せになれよ」の言葉は、私は一生忘れません。

リングボーイはまさかの!?2度目の結婚で感動エピソード

離婚から1年後に出会ったUさんは、「この人となら、もう1度結婚したい」と思えるような優しい人でした。Uさんも私同様、1度結婚経験がある人でした。彼には、7歳になる息子がいました。1度子どもとも会ってほしいと言われました。私は元夫との間には子どもがいませんでしたが、もともと子どもが好きなこともあって、快諾しました。

息子のA君に会ったのは、3人で遊園地に行った時でした。UさんからA君の好きなものを聞いて、お弁当を作っていきました。初めて会う私に、A君は戸惑っているようでした。A君のことが知りたくて、色々話しかけてみましたが、その日は結局A君の声を聞くことはできませんでした。Uさんは、「ごめんね、緊張してたみたい」と申し訳なさそうに言いました。「仕方ないよ。初めて会ったんだもん」。気にしないで、と返しましたが、心の中ではとても不安でした。その後も何回かA君と会ったのですが、どうしても心を開いてくれたようには思えませんでした。Uさんとの結婚そのものを悩み始めましたが、Uさんから、「Aは、君のことを嫌っているわけじゃない。それは見ていればわかるよ」と言われたこともあり、もう少し頑張ってみようと思い直しました。

それからしばらくして、UさんはA君に私と結婚しようと思っていることを伝えました。A君は少し考えた後、「いいよ。ママができるんだよね」と答えたそうです。A君は賢い子です。「Uさんに気をつかったのではないか」。そう疑うことを止められない自分が嫌になりました。それでも、Uさんのことは好きだったし、Uさんの「君を嫌っているわけじゃない」という言葉を信じ、結婚を決めました。

結婚式の打ち合わせをしている時、プランナーの方に「リングボーイはどうしますか?」と聞かれました。「周りに小さいお子さんがいらっしゃれば、その子にやってもらう人が多いですよ」と教えてもらいました。私たちの場合はA君かな、と考えました。ふと横に座っていたUさんを見ると、同じことを考えているようでした。しかし、今までの私への態度を思い出すと、どうしてもその勇気が出ません。結局、リングピローを作ってくれるという友人にその役をお願いすることになりました。

そして迎えた結婚式当日。リングガールになってくれる友人に、「今日はよろしくね。」とメールを送りましたが、なぜか返事は「リングピロー、良いのできたから期待しといて!」という、どこかずれたものでした。それもそのはず。リングを持ってきてくれたのは、友人ではなくA君だったのです。少し緊張していたみたいですが、堂々としたA君の姿に、驚きを隠しきれませんでした。A君は私の顔を見てはっきり言いました。「遊園地に行った時のお弁当、すごくおいしかったよ。また作ってね、ママ」と。照れたような笑顔は私が見るA君の初めての笑顔でした。思わず泣いてしまった私に、「嫌だった?ごめんね」と謝るA君に、違うの、嬉しんだよ、と何回も伝えました。

UさんはA君と何回も話をして、A君が本当は私ともっと話したいと思っていることを知ったそうです。そこで、リングボーイをお願いしたそうです。私への言葉は、A君にリングピローを持たせる時に、「何か伝えたいことがあったら言っても良いよ」とスタッフの方が言ってくれたそうです。私たちの関係が訳ありと気づかれたのでしょう。スタッフの気遣いと、A君の勇気のおかげで友人からも「今度こそ幸せになれるね」と言われました。あれから9年、反抗期を迎えた息子ですが、この話になると今でも照れたように笑います。

突然の変更も完璧!スタッフのおかげで完璧な結婚式ができた

私達の結婚は、誰に反対されるわけでもなく決まりました。そして、式場の申込も済ませ、打ち合わせもスムーズに進めることができました。私はやや遅い結婚だったので、招待したい友人にはすでに子どもがいる人がたくさんいました。そこで、友人が子ども連れでも出席できないか相談すると、プランナーさんは「キッズルームを用意いたしますよ」と言ってくれました。もしも子どもがぐずったら、そこに行けるようになっていたのです。そして、見学の時に見たお庭を気に入っていた私は、そこでのブーケトスをお願いしました。

当日になって、何となく天候が危ないなぁ、と思っていました。朝の段階ではギリギリ曇りくらいでしたが、天気予報では肝心の結婚式の時間に雨が降るとか…。何とかもってくれ!と願いを込めていました。ところが、ブーケトスの時間になって案の定雨が降り出してしまいました。大雨というほどではなかったのですが、「皆様のお洋服も濡れてしまいますので…」とスタッフさんに室内でのブーケトスに変更になったことを知らされました。少し残念でしたが、せっかく来てくれた人達に私の我儘で嫌な思いはさせられません。だから「お願いします」と変更を受け入れました。

スタッフさんには失礼ですが、変更後のブーケトスはあまり期待していませんでした。ところが、案内されたのは豪華な階段でした。(あれ、こんな階段あったっけ?)記憶を辿ってみても、この式場にこんな素敵な階段のことは覚えていないのです。後でわかったことなのですが、確かにこの式場には階段がありました。ただし、あくまでも普通の階段が。それを、雨が降りそうとなった時点で変更の可能性を考え、スタッフさん達でブーケトスをしても違和感のない素晴らしいものに変えたそうなのです。その先読みのスキルと機転の利いたアイディアには脱帽です。結局、ガーデンよりもずっと印象的な、階段上からのブーケトスができました。

そして披露宴。子ども連れの友人のことを考え、用意してくれたキッズルームは、「子どもがぐずったらどうしようかと思ったけど、安心できたよ」と好評でした。キッズルームには、子どもの好きな絵本やDVDまで置いてあったそうです。子どもがいらっしゃるスタッフさんが持ってきてくれたということでした。親戚や友人から何回も「おめでとう」を言われ、私も夫もずっと笑ってその日を過ごすことができました。夫とも、「良かったよね」と話しました。誰も嫌な思いをせずに、かつ私達の希望も叶えてくれた式場のスタッフさんには本当に感謝しています。

幸せになる姿を見てください!最愛の祖父母の前で永久の誓い

私の両親は共働きでした。そのため、小さいころの私は、学校が終わると近所に住む祖父母に家で宿題をしたり、母の帰りが遅い時には夕飯を食べたりしていました。祖父母は私のことをとても可愛がってくれました。私も、そんな祖父母が大好きでした。「Kちゃんは、大きくなったら何になるの?」と祖母に聞かれたことがありました。その質問に対して「お嫁さん!」と答えたことがありました。「じゃあ、Kちゃんの花嫁衣装見るまでは元気でいなきゃいけないね」と祖母が言うと、「そうだな」と祖父は笑っていました。

20代後半になって、学生時代から付き合っていた彼との結婚が決まりました。祖父母に報告をすると、とても喜んでくれました。「おめでとう。Kちゃんが本当にお嫁さんになっちゃうなんてなぁ」「結婚式はどこでやるの?Kちゃんの花嫁さん姿見たいけど、私たちは無理かしらねぇ」「そうだな」。祖父母がそう言うのには、理由がありました。祖父は、3年前に倒れ、今は車いす生活になっていました。祖母も、車いすではないものの足が悪くなっていて、結婚式場まで来たり式場の中を動いたりすることに不安を感じているようでした。

確かに、祖父母が結婚式に参加するのは難しいのかもなぁ、と思いました。でも、私のことをあんなに可愛がってくれた人たちです。私は絶対に来てほしいと思っていました。それに、「無理かも」と言っていた祖父母がとても残念そうな、寂しそうな顔をしていたのに気づいていました。何としても、祖父母に参加してもらいたい。その思いは強くなっていました。彼にこの話をすると、彼も参加してほしいと言ってくれました。私がおじいちゃん子、おばあちゃん子なのを知っていたからです。

2人で、祖父母も参列できる式場を探しました。まずは、祖父母の家からあまり遠くないことが大切でした。移動だけでも、今の祖父母には大変だったからです。そして決めた式場は、祖父母もきっと安心して参列できると思ったところでした。その式場は、バリアフリー完備で、スタッフさん達の雰囲気もとても良いところでした。事情を説明すると、「ぜひおじい様とおばあ様を招待してあげてください。スタッフ一同、心から協力させていただきます」。そう素敵な笑顔で言ってくれたことに、安心を覚えました。

この話をすると、祖父母は「Kちゃんたちがそこまで考えてくれたなら、出席しないわけにはいかないね」と言ってくれました。両親もこれには賛成でした。当日は、祖父がたまに使っている施設のスタッフさんがついてくれることになりました。プランを考える時も、色々なアドバイスをしてくださいました。当日は忙しくならないようにと、時間をゆっくりにしてくれたり、披露宴の席は私達に背中を向けないようにしたりしてくれました。私達では気づけないようなところまで考えてくれました。

結婚式当日、披露宴でニコニコしながら私達を見ている祖父母の顔が見えました。1つ1つのテーブルをまわり、祖父母のテーブルに行くと、こう話してくれました。「ちょっとした段差でも気をつけてくださいって言ってくれたりね、私は歩くのが遅いのに、それに付き合ってくれたりしたんだよ」「こんないいところ選んでくれてありがとう。Kちゃんの花嫁姿を見られて本当に良かった」「本当に。とても綺麗だよ、幸せになってね」と。それが社交辞令でないことは、目を見ればわかりました。「今日は来てくれてありがとう。おじいちゃんとおばあちゃんに、私のこの姿を見てもらえてよかった。絶対に幸せになるからね」。今日1番伝えたかった言葉を、泣き笑いの顔で口にしました。

2人を結んだ愛犬と一緒の結婚式

私と彼が出会うきっかけを作ってくれたのは、お互いの愛犬でした。トイプードルのメイを連れて、家から少し離れた公園に出かけました。普段は大人しいメイなのですが、広い公園に興奮したのでしょう。突然走り出したのです。油断していたことと、意外に強い力に、うっかりリードを放してしまいました。猛ダッシュで走っていくメイに一瞬呆然としましたが、慌てて追いかけました。メイは、ある犬の近くで止まっていました。メイより濃い茶色のトイプードルです。

「すいません、うちのコが!何か迷惑かけていませんか?」急いでリードを持つと、少しだけメイと相手の犬を離しました。「大丈夫ですよ。ちょっと挨拶してただけだよね」平謝りの私に、飼い主さんは笑って答えてくれました。「可愛いコですね。名前は?」「メイって言うんです。あの、そのコは?」「ああ、チョコです。ほら、この色、チョコレートに似てるでしょ?」「あ、ホントですね」犬を飼っているとよくある光景です。最初は世間話程度だったのですが、同じ種類の犬を飼っている者同士、話が弾みました。まるで某映画のような話ですが、そのまま連絡先を交換し、数か月後には付き合うことになっていたのです。

それから数年後、彼からプロポーズをされました。もちろん、すぐにOKしました。お互いの両親へ報告する時はさすがにちょっとドキドキしましたが、特に何の問題もなく結婚が決まりました。さて、そうなると次に待っているのは結婚式です。結婚前から、「もし結婚式するなら、チョコとメイにも参加してほしいよね」という話をしていました。2匹は、私達を引き合わせてくれたキューピットなのですから。でも、さすがに無理かな、と思いながらダメもとで探してみると…ありました。それも、写真撮影の時だけ、ではなく、結婚式そのものに参加できるというのです。彼と相談して、そこに決めました。さっそくその式場に申し込みをし、式の準備が始まりました。

プランナーさんはとても話しやすい方でした。ついつい話過ぎてしまい、2人の出会いエピソードまで話してしまいました。プランナーさんは、「そんな映画みたいなことあるんですね」と驚いていましたが、「それなら」とあるアイディアを提案してくれました。

披露宴で、参列者からお祝いと共に口々に言われた言葉がありました。「すっごい可愛かった」、「2人らしいというか何と言うか」、「和んだよね」。それは、リング交換の時のことを言っているのでした。リングピローを運んでくれる役を、メイにお願いしたのです。「リングボーイ」ならぬ「リングドッグ」です。本当は、メイとチョコの2匹にやってほしかったのですが、「チョコは気まぐれなところがあるからなぁ」という彼の一言で、大人しいメイがやることになったのです。このリングドッグは、プランナーさんからの提案でした。「せっかくお2人を結んだ子たちなのだから、式でも活躍してもらってはいかがですか」と。メイにできるかなぁ、と少しだけ不安でしたが、リングピローを背中に乗せ、トコトコとやってくるメイの姿に、式場全体が和やかなものになりました。メイの顔もどことなく誇らしげで「どう?私ちゃんとできてるでしょ?」と言っているようでした。

あの結婚式から半年が経ちました。あの時、背中に物を乗せることが得意になったメイは、家の中で手紙を運ぶ手伝いをして、家の中も和ませています。今、夫とはチョコもできるかやってみようか、と計画を立てています。

新郎からのまさかのサプライズ!私の目には思わず涙が

私の彼氏は、口が達者な人ではありませんでした。そして、緊張しいでした。それでも、彼がとても優しい人であることと、私のことを大切にしてくれていることはきちんとわかっていました。だから、ある日彼が唐突に「結婚しようか」と言っても、素直に頷けました。ドラマや映画で見るような、ロマンティックなプロポーズに憧れていなかったわけではありません。でも、きっと彼にとってはこれが精一杯だったもの知っていました。それに、彼らしいな、と思いそこを含めて彼が好きだと改めて思ったのです。

選んだ結婚式場は、アットホームな雰囲気の漂うところでした。もともと華美な物よりも落ち着いた物が好きな私達。すぐに決めました。プランナーさんもとても親身になって相談に乗ってくださいました。アイディアで悩んだ時も「では、こちらはいかがでしょう」とすぐに提案してくれるのです。最初から最後まで頼りっぱなしでした。ある日、私がちょっと席を外して戻ってくると、彼が真剣な顔をしてプランナーさんと話しているのが見えました。何だろう、と思って戻った時には、すでに話し終わっていて何の話をしていたのかはわかりませんでした。彼に聞いても、「他の人達の話聞いてただけだよ」というだけで、詳しくは教えてくれませんでした。しかし、その日から、彼が真剣な顔で何かを考えていることが多くなったのです。

そして当日、結婚の誓いの時にそれは起きました。段取りで教えてもらっていたのでは、聖書朗読の後、誓いの言葉を言うということでしたが、なぜか司祭の方が何も言わないのです。あれ、と思って司祭の方を見ると、新郎を見てニコニコしているのです。(え、何で?)そう思って新郎を見ると、異様なくらい緊張しているのがわかりました。どうしたんだろうと思ってじっと見ていると、彼は決心したように口を開きました。

「ずっと僕と一緒にいてくれてありがとう。口下手であまり言ってあげられなかったけど、君が大事な気持ちはだれにも負けません。これからはちゃんと言葉にするようにします。これは、そんな僕の最初の言葉です。君を幸せにします。僕と結婚してください」

彼がずっと考えていたのは、この言葉だったんだ。そう思った瞬間、涙が溢れてきました。決して手紙のような長い言葉ではありません。口が達者な人なら、これを言うためにあんなに考えないし、言葉にするのにあんなに緊張はしないでしょう。でも、プロポーズの時より遥かに長いこの言葉を、私だけでなく人がたくさんいるこの場で言うことが彼にとってどれだけ勇気のいることだったか。それを私のために頑張ってくれた。言葉よりなにより、その気持ちが嬉しかったのです。だから、私もしっかり答えました。「はい。私もあなたが誰より大事です。幸せにしてください」と。

彼はあの時、プランナーさんに相談していたのでしょう。「プロポーズをきちんとできなかった」と。内心、彼がそれを悔いていたのは知っていましたから。そしてきっとプランナーさんから、この2度目のプロポーズを提案されたのではないでしょうか。彼にもプランナーさんにも聞いてはいません。完全に、私の勘です。でも、あのプランナーさんなら、やってくれたのではないかと思うのです。そして、それが彼のアイディアでなくても構わないのです。私にとって大切なのは、それを実行してくれた彼の愛なのですから。

準備期間は短かったけれどプランナーさんのおかげで完璧な結婚式に!

交際5年の彼から、突然プロポーズを受けました。私自身「そろそろ言ってくれないかなぁ」と期待はしていましたが、彼からはそんな様子はなかったのです。だからこそ、突然のプロポーズには驚きました。よく話を聞いてみると、半年後に海外に転勤になるというのです。そこで、私のことをどうしようと思ったということでした。「別れた場合のことを考えたら、たまらなくなった。君には無茶をいうことになってしまったけれど、一緒に向こうに行ってほしい。僕と結婚してくれませんか。」正直、転勤が決まったから結婚の意思を固めたというのはいただけないかな、とも思いましたが、彼と別れた時のことを考えられないのは私も同じ。即OKしました。

さて、そこからが大変でした。1年後には海外です。大急ぎで結婚式の準備を始めました。「別にいいんじゃないの?」と私が言っても、彼は聞きません。「いきなり君を外国に連れてっちゃうんだから、お父さんたちにはちゃんと君が幸せになるところを日本にいるうちに見せたい」と譲らなかったのです。結婚式と言えば、色々なことを決めたり準備したりして、時間がかかるものだと思っていました。しかし、探せばあるもので、何と3か月後には挙式ができるというのです。その中でも、特にプランナーさんがベテランと紹介されている結婚式場に決めました。本当にそのプランナーさんはベテランの方でした。結婚式まで時間がないのに、まるでアイディアを持っていなかった私達に、「では、こういうのはいかがですか?」と様々なアイディアを出してくれました。メールのやりとりをしてくれて、当日までずっと親身に相談にも乗ってくれました。

たった3カ月です。気づいた時には結婚式当日になっていました。今まで慌ただしく動いていたせいで、気にならなかったのですが、当日になったら急に緊張してきました。しかも、時間がない中で色々決めていたせいで、スケジュールをなぞることも満足にできていませんでした。スケジュールが頭から飛びそうでしたが、プランナーさんは笑顔でこう言ってくれました。「大丈夫ですよ。私が全部わかっていますから」と。その言葉に、ほっとしました。緊張も少しとけたようでした。

式や披露宴では、案の定「次は何だっけ」と焦りそうになることがありました。しかし、その度にプランナーさんがしっかりリードしてくれたため、大きなミスなく無事結婚式を終えることができました。わずか3カ月でできたとは思えないくらい最高の結婚式になりました。彼がこだわっていた「両親に私が幸せになるところを見せる」というものもちゃんとできたようです。父親からは、「急でびっくりしたが、彼ならお前をリードしてくれるから大丈夫だな」と言われました。後日、彼とこの話になり、「リードしてくれたのはプランナーさんだけどね」と2人で笑い合いました。

人前では絶対に泣かない!そんな父の目に涙が浮かんだ感謝のムービー

結婚式のプランを考えていた時、式場の方から「ムービーはいかがいたしますか?」と聞かれました。何のことかと思って尋ねると、披露宴の最初や最後に、家族や出席してくれた友人に感謝の気持ちを伝えるために流す人が多いという話を聞きました。「ご家族にあてたムービーで、感動して泣いてしまうお父様もいらっしゃいましたよ」と教えてもらいましたが、それはうちの父にはありえないだろうな、というのが正直な感想でした。

私の父は、人前では全く泣きません。涙もろい母と足して2で割ったら丁度いいのに、と思うほど真逆の夫婦なのです。だから、いくら娘の結婚式とは言え、そんな父が泣くなんてことは絶対にないと思ったのです。それでも、せっかくなので、とプランナーさんに勧められました。彼も「感謝の気持ちは伝えたいじゃん」とノリノリです。それもそうか、と思い、ムービーを作ることにしました。しかし、泣かせようと思って作っても無駄になるのが目に見えていました。そこで、今までの2人の成長記録のような写真のスライドショーの横に、出席してくれた人への感謝の言葉を載せるという、本当に無難なものを作りました。

そして迎えた結婚式当日。父と一緒にバージンロードを歩きましたが、やはり父の目に涙は浮かんでいません。テレビや映画、結婚式の体験談などでは、ここで父親が泣く、というのが定番だと思っていました。予想はしていましたが、一瞬だけ気落ちしてしまいました。披露宴で、新郎新婦が両親に手紙を読む場面でも、号泣する母の横で父は毅然とした態度を崩しません。(まぁ、お父さんだもんね)と、どこか諦めにも似た気持ちになりました。絶対に父はムービーなんかで泣かない!確信しました。

そしていよいよ、ムービーが流れる時間です。私達が作ったものの前に、当日の写真が流れました。式場からのサービスだったらしく、結婚式の様子や、全員で撮った写真、友人のテーブルをまわったと思われる写真が何枚か流れました。その後、私達のムービーが流れます。何の気なしに、父を見て目を疑いました。目頭をハンカチで押さえているのです。最初は汗でも拭いているのかと思いましたが、何度も何度もハンカチで拭っているのは、どう見ても目元です。驚きを隠せない私に、新郎が笑顔で囁きました。「お父さん、泣いてるじゃん」。ちょうど目が合った、プランナーさんの口元が動きました。「良かったですね」と。2人は、私以上に期待と心配をしてくれていたようです。

結婚式の後、両親と会った時にこの話をしました。「何であれで泣けたの?」と聞いたのは、本当に不思議だったからです。確かに微笑ましい写真を選んだつもりでしたが、別に泣けるようなものではなかったと思います。父は、「気のせいじゃないか」と言って答えようとしません。それを見た母が苦笑して、代わりに教えてくれました。「あんなに小さかったあんたがもう結婚なんて、って思っちゃったのよね。そしたら、今までの思い出が一気に溢れてきちゃってね。親にしてみたら、1番泣ける内容だったのよ」。あんたは、そんなつもりなかったんでしょうけどね、と図星までさされました。あの結婚式から3年。未だにこの話をすると「俺は泣いていない」と言い張ります。それでも、あの涙は絶対に気のせいではなかったと私は確信しています。あれ以降、やっぱり父の泣く姿は見ていません。きっとあれは、最初で最後の父の涙なんだと思います。それを見られたのが結婚式だったことが、私が父に愛されている何よりの証拠だと思うのです。

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